なぜこれを選んだかというと、たまたまこの単語について知る機会があって、少し調べてみると実はけっこうあちこちで行われているようで興味を持ったということ、そして九州大学の理系学部が後期入試に女子枠を設ける計画を出してそれについて批判が集まったという記事を見かけたことが大きな要因です。
まず当該大学の理系学部の場合について二方向から考えてみます。
①女子枠を設けたのは正しい判断であるという立場で考える場合
[1]そもそも理系には女子学生も女性教員も少なく、女性教員を増やすためにはまず学生を増やす必要性がある。それは即ち女性の社会進出に繋がることである。
[2]名のある国立大学が先立って女性の労働環境の改善に対してアクションを取ることは有益である。
[3]公務員における女性の労働環境は民間よりも現状優れている。国立の大学法人もそれに習うべきである。
[4]性別によって優れた女性研究者が世の中で活躍できないで埋もれている可能性。
[5]学歴社会的傾向のある現代において女性が学歴を取得することは労働環境改善や社会進出において有益なことである。
今のところ思いつくのはこのくらいでしょうか。
②女子枠を設けるのは正しい判断ではないという立場で考える場合
[1]男子受験生に対する差別である。積極的差別により逆に被害を被る生徒が出現する可能性。
[2]枠を設けることで本来合格するであろう能力を持った男子生徒が合格できなくなる可能性。
[3]実力の前では性差は関係ないのではないか。
[4]実力を伴わない女子生徒が入学した場合、入学以降ついていけなくなったり期待と評価に対し苦痛を感じる可能性。
②側の方が実際に討論を行う際にはやりやすそうな予感がします。アファーマティブ・アクションを採用して女子枠を設けたとしても、女子学生の卒業後の進路(研究員にしても就職にしても)まで担保されているわけではないので、間口のみを広げても女性の労働環境の改善には繋がらないのではないか、というのが個人的な感想です。賃金体系が変わらなければ、育休がとれなければ、教育に対する考え方が変わらなければ、専業主婦が当たり前あるいは望まれるべきという文化が変わらなければ、おそらく現状望まれているであろう女性の労働環境等の改善というのは達成し得ないように思われます。シングルイシューではなく、様々な問題点が複合的に大きな問題を作り上げているように思います。