2012年10月16日火曜日

取扱説明書をよく読んで用法用量を守ってお使いください。

【頭の体操】
 個室が15部屋しかない小さなホテルに16人の客がやってきた。どうにかして全員宿泊させたいと考えたマネージャー。最後についた客に一時的に1号室に入ってもらうことにした。それから他の客を1号室から始めて角部屋にひとりずつ順番に割り当てていった。
 こうして1号室だけはふたりが入室した。そして3番目の人は2号室に、4番目の人は3号室に、5番目の人は4号室に……15番目の人は14号室に入った。そして空いている最後の部屋(15号室)に1号室に居た最後に到着した客を入れた。これで全員宿泊出来ることになる。


本当に?










 文章にしたがって図を作成していくとわかりやすい。今回はめんどくさいので図は書きません。というか書いたんだけど写真撮って載せるっていう作業を横着して省いちゃったので。


 これ、「3番目の人が2号室に入った」ので2番目の人はどこにも入ってないんですね。
よくあるモヤモヤするタイプの問題というかひっかけなのでご存知の方は多いかもしれません。

 今回は特に深い目的もなく「とりあえずブログ更新しようぜ」という短絡的な思考から書いた(というかうろ覚えの問題を少しいじって載っけた手抜き)のでさらっと流し読みしていただければと。

2012年9月29日土曜日

2012年7月2日月曜日

女性専用車両 ②

続き。今度は否定の方を考えてみますね。

①痴漢の減少
→男性と女性との距離が遠くなり接触回数や可能性がぐっと低くなるので痴漢を減らすことが出来ます。さらにこれは後述する冤罪やそれに伴う詐欺や詐取の可能性も減らすことができます(要データ)。

➔女性専用車両を残しておくことで、専用車両に乗れなかった人は実際に痴漢に遭遇したときに「痴漢されてもしょうがない」という視線を浴びる可能性があります。
→現存している状況でそういった視線や言説が大きくなっているかといえばそうではないのではないでしょうか。また、そういった世の中の見方が裁判の判決などにあまり大きく関与することもないと思われます。

➔また、女性専用車両に入れなかった際は男性の比率が上昇している普通車両の中での恐怖感が出てくる可能性があります。


②女性だけではなく身体的な弱者にとっても利用可能なスペース(要出典)


③痴漢件数を減らせるので、追加して痴漢冤罪や示談金詐欺なども減らせる
→親告罪であることを利用し、被害にあっていないのに痴漢被害に遭ったと主張して「警察には言わないので示談金を出せ」などの交渉もしくは恫喝を行うという事例があります。しかし、女性専用車両を維持することで①でも述べたように男女の物理的距離が遠くなるのでこういった事件の発生件数も自然と減少すると考えられます。

➔現在報告されている痴漢の中で、どれだけの件数が冤罪で逆にどれが本当にあったものなのかなんてわかりません。また、詐欺に関しても報告されている件数がどれほどかわからない(要出典)。

→疑いを持たれた時点でほぼ有罪が確定してしまうような現状では、そもそも男女が接触しかねない状況を減らすべきであり、それによって男女双方にとってリスクが減少するのでいいことです。


④他に有効な痴漢対策が現状ではほとんどなく、コスト面でも女性専用車両は有効です
→現在、女性専用車両は鉄道会社の善意や配慮によって運用されています。そうなればコストというのは無視できない観点です。一車両分のスペースやステッカーを作るだけで、ダイヤの変更や車両編成を増やしたりすることなく対策が出来るのです。また、車内広告も女性専用車両においてはかなり絞りやすく、営利活動としても優れています。利用客数に関しても、丸々一車両を女性専用車両にしても利用客の総数が減るということは考えにくく、本数を早めたり遅くしたりしてでも電車を利用するという方は多いのではないでしょうか。

後々付け足していきたいとおもいますが、大枠はこんなところかと。ちょっと手抜きが続いてますね…。

2012年7月1日日曜日

女性専用車両

久々です。いろいろあったし、だらだらしていたかったので滞りました。まぁ、そんなに待ち望んでいる人も居ないだろうからいいんじゃないかと思うけれども。自己満足ですしね。いつも通りソースは後から足したりするので料理としては雑なもんです。

今回は一旦流行が来て過ぎ去った「女性車両」に関してやってみようかと。

・女性専用車両(じょせいせんようしゃりょう)は、公共交通機関において、原則として女性だけが利用できるようになっている車両である。現在の日本の国土交通省では「鉄道事業者において、輸送サービスの一環として導入された女性等に配慮した鉄道車両」と定義している。


とウィキペディア大先生に書いてあったのでとりあえずこういうものとして進めていきますね。

また少し書き方を変えてみます。

「女性専用車両廃止」肯定
①男性利用客の不公平感を解消できる
→実際にこの女性専用車両は「アファーマティブ・アクション」といういわゆる逆差別というやり方と言われます。現状差別的になっている天秤の反対側に錘を乗せて逆にする方法です。ただ、それによって男性利用客にとっては不公平感があるようです。男性にとっては「弱者であることを利用している」ようにも見えるのかもしれません。関係ない状況でも「女性は弱者である」という概念を植えつけてしまう可能性もあります。

→障がいのある方や身体の弱い方も本来は利用できるということもあるようですが、女性専用であ  るということから排除につながっているのではないかという考え方もありそうですね。

➔名称変更や明示、周知が出来れば解消できる。

→それは女性専用車両に関する議題から外れていくのでは。

②他車両の混雑が解消される
→女性専用車両はスカスカなのに他の車両が寿司詰め状態のケースを解消できる。また、女性専用車両があることによって他の車両の相対的な男性の密度が上昇し、女性専用車両に乗ることが出来なかった女性が危険な目に遭う可能性が増えるのではないでしょうか。また、例えば「女性専用車両に乗ればリスク回避出来たのに乗らなかったということは、リスクを負う可能性も考慮出来たのではないか」という被害者に対する視線が発生する可能性もあります。

➔結局車両の数は変わらないし、通勤ラッシュなどではいくら人を運んでも次から次へと人が来て押し込まれていくので、一車両空いた程度では寿司詰め状態は変化するとは言い切れないのではないか。
→一両空くだけでもピストン輸送の回数は減る可能性があるわけで、混雑時間帯を短くすることが出来るのではないでしょうか。



③車両位置によって乗り換えの利便性に差が出る可能性がある
→駅に電車が到着して乗り換える際、階段が近い方が乗り換えに便利なのは明らかです。ここで女性専用車両がどこにあるのかによって問題になってきます。先頭車両が階段に近いことが多いようで、先頭車両に乗ろうとする人が多いです。しかし一両目を女性専用車両にしてしまうと男性にとっての利便性が大きく低下する可能性があります。では二両目ではどうでしょうか?しかし、そうなれば一両目に乗った人は三両目や四両目に移動したい場合でもそれができなくなります。なぜなら間に女性専用車両があるからです。便利さに差が出るので本来の女性専用車両の意図するところとは違うところで不平等性が高まってしまいます。

➔「女性に配慮する」の中に「体力的な差」というものを含むと解釈すれば、乗り換えに便利な方を女性に与えるのは可能ではないでしょうか。

→しかし、歩く速度が違うので逆に歩くのが遅い人が前を歩いている方が危険なのではないでしょうか。


故に女性専用車両を廃止するべきではないかと考える、という側で考えてみました。

2012年3月12日月曜日

高齢者の免許って Ⅱ

次、否定側で。

①過疎化へ拍車
車ありきで生活が成り立っている地域も多い。特に田舎になるとその傾向が強い上に、もともと高齢者の多くなっている地域である。故に若い世代はもっと早いうちに便利な地域へ移住し、高齢になった世代はそのまま寿命を迎えていなくなる。つまり地域が死ぬ。さらに言えば田舎は一次産業従事者が多く、その地域が死ぬことは一次産業が死んでいくことを意味している。

②車が売れなくなることで産業の停滞が発生する
若い人がそもそも車に乗らなくなったと言われている中で、自動車業界は中高齢者を主な客層とし始めている。そこで高齢者層を車から離れさせるというのは自動車産業にとって大きな痛手。社会全体としてのクルマ離れが進行していく。そして高齢者層が大きな金額でお金を使う機会が減るので経済までもが停滞していく。車産業というのは様々な業種業界とからみ合って存在している。故に車が売れなくなると連鎖して様々な業種が振るわなくなっていく。

弱いような気もしますがこんなところでしょうか。あとあと訂正しちゃうのはいつものパターンですな。

2012年3月11日日曜日

高齢者の免許って Ⅰ

以前、高齢者の免許について年齢制限を設けてしまったほうがいいんじゃないか、というようなことを考えてみたことがありました。それについてちょっとまとめてみたいと思います。

平均寿命くらいで仮設定して進めていきたいと思います。
では肯定側

①高齢者による交通事故が増加している{1}
具体的にはアクセルとブレーキの踏み間違い、加齢による反応や判断能力の低下に依るものが考えられる。これらは現状の技術的なものや本人の努力といったもので解決できる見込みは薄い。加齢による衰えというものは科学的に証明されている{2}。また、認知症などによって引き起こされる事故もあるという{要出典}。これはそもそも事故を認識しておらず、賠償などで面倒なことになったりそもそもひき逃げ当て逃げのような状況になるということも考えられるのではないか。

1 高齢者の事故件数に関して http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2011/zenbun/html/s1-2-6-02.html
2 加齢による認識能力低下について http://www.seikatsusyukanbyo.com/calendar/2012/001956.php

→身体能力の衰えは個人差があり、一律で免許を取り上げるのは公平性に欠ける(ので試験を)。
⇛個別に取り上げる方が不平等感を生み出す可能性がある(が、試験の場合は反論が難しそう)。

②車が使えなくなることでタクシーやバスの利用率が上昇することで地域が発展する
車の維持費というのはかなり高く{1}かかるので、免許がなくなり車も所有できなくなることでその維持費が生活費に回せる。そしてそのお金が車の維持費ではなくタクシーやバスといった代替手段に回る。公共のバスが赤字路線だったとしてもその改善の可能性が出てくる。またタクシーや民間の送迎バスといった事業が生まれた場合、その地域の近くに支店が出来、十人の増加や副業先が出来ることになる。

1 車の維持費と初乗り料金の比較 http://www.news-postseven.com/archives/20101203_7086.html


だいたいこんなところでしょうか。

2012年2月18日土曜日

第二外国語って Ⅳ

続きというか今度は逆側に立ってみますね。

私は大学教育における第二外国語廃止について否定側で立論を行う。論点は3つある。「未知の文化の一端に触れる機会」「友達を作る機会として機能している」「様々な言語に触れることで言語についての理解が深まる」である。

 一つ目の「未知の文化に触れる機会」についてだが、第二言語は英語と日本語以外の言語となることが多く、また学部によるもののオーラル・コミュニケーションに重点を置かれることが多いので言語のみならず文化に触れることも出来る。例えば高校までの課程では自発的には触れる機会があるものの、基本的に英語圏と日本くらいのものだろう。しかし、大学に入り必修という形で強制的に言語あるいは文化に触れさせられるというのは貴重な機会である。さらに、この経験を経て留学や研究、卒論などといった学問的な興味に繋がる可能性も大いにありうる。

 二つ目の「友達を作る機会としての場」についてだが、大学という見ず知らずの人が多い環境に放り込まれて一番最初に人と話す機会というのはおそらく語学の教室だろう。同じ学校出身だったりする人と話すこともあるかもしれないが、新しい環境の中で新しい友人を作っていく場としては有効であると考える。また、部活やサークルに所属するとそのグループ内としかコミュニケーションを取らないこともあるだろうが、語学で出会った知り合いというのは必ずしもサークルが同じではないこともあって情報を交換出来ることもあるし、逆にサークルを一緒に見に行ったりする仲間だったりもする。とにかく、友だちとして早い段階で出会う人が同じ教室の人ということは大きい。

 三つ目の「様々な言語に触れることで語学についての理解が深まる」についてだが、言語というのはある程度どういったものにも共通したルールや体系がある。例えば欧州方面でよく使われる言語のほとんどはSVOという形式で文章が構成されているし、日本語はSOVだとかそういった分類がある。こういったことやさらにもう少し深い知識に関しても共通部分は多い。日英のみならず、さらにもう一種類、言語を学ぶことで将来別な言語を学ぶときに共通部分があるということを経験的に把握しているだけで大きな助けになると考えられる。

以上の三つの論点から第二言語廃止に対して否定の立場を取る。

こんなところでしょうか。反論までやりたいところはあるけど、いつまで経ってもこの論題が終わらないような気がする。立論段階での反論くらいでやめておこう。あとは自分で印刷するなりしてやっておきます。

第二外国語廃止って Ⅲ

あけましておめでとう。たぶん今年に入ってから初めてだろうか。今年も立論ライクに書いていこうかと思うので見ている方がいらっしゃったらよろしく。第二外国語、結局論点の洗い出しっぽいことまではしたものの、まとまった文書にしていなかったのでその作業をしていこうかと思います。
第二外国語廃止 賛成側 からやってみましょうか。


私は大学教育における第二外国語廃止について肯定側で立論を行う。メリットは3つある。「自発的かつフレキシブルに選択出来る状況にある方が有意義な語学学習に繋がる」「大学の人件費削減」「語学に取られる時間を減らし、学部特有の学問に触れる時間を増やせる」の3点である。

一点目の「有意義な語学学習に繋がる」という点についてだが、単位を取らせるということで形骸化し、学生にとって消化試合として捉えられている傾向があるのではないか。簡単と言われる言語に人気が集中するのもその現れであると考える。故に入学後も選択を自由とし、自発的な学習を促したほうが習得効果も期待出来るうえに、授業を妨害するような学生も減ると思われる。嫌々やるよりもやりたいと思った語学をやった方が集中も出来るだろうし、であれば効率も上がる。二年間の縛りとも表現すべき柔軟性に欠ける制度が効率的な学習を妨げ、新たな分野へ学生が自発的に踏み込める機会を奪っている。例えば入学後に様々な学問や言説に触れていくことで興味の幅が広がり、別の言語が必要となったときに語学を変更出来なければ、英語+中国語+ドイツ語などという履修計画を組まねばならなくなる。これは学生にとって大きな負担である。また、それにより1セメスターでの履修科目数が圧迫される。語学を増やした分、学部特有の学問に触れる機会が減るのである。外国語をやるための学部に入ったわけではない学生にとってはこのような事態は望ましくない。

二点目の「大学の人件費削減」についてだが、これは大学の費用を軽減することにより学生やその家庭の金銭的な負担も軽減することが可能であると考えられる。国立大学が法人化したことにより研究費などの調達に自助努力が求められ、今まで通りの経営が機能しにくくなりつつある。私立大学においてはそもそも学費や寄付金、施設維持費などで学生の家庭は圧迫されている。第二外国語を廃止することで需要に応じて語学のカリキュラムも作成されていき、合理的な時間割に近づいていくと考えられる。需要のない語学のコマ数を無駄に置いておくことは非合理的であり、もし需要が生まれたらその時に対応するようにするべきである。学部ごとの分散や共有も視野に入れることでより効率的な語学学習と時間割作成そして大学経営が達成されていくと考える。

三点目の「学部特有の学問に触れる時間を増やせる」について。大学には1セメスターにおける履修上限が設定されている。一点目でも少し触れたが大学で語学ばかりに力を入れていては学部次第では「何をしに大学に来たのかわからなくなる」のだ。法学部や経済、経営といった学部に入ったのに学問的に関係性のない語学を学ぶというのは学部生レベルでは不要であると考えられる。その学問が見発達な国の語学を学び、その国の学問を元に論文を書くという発想もあるとは思うが、基礎あるいは王道的なものを学ばずに既存の枠から離れたものを研究するというのはリスクの高いことであり、遠回りであるようにも思われる。また、原文で読むとしても、今までで培われてきた日本語での理解能力を以て日本語訳で出版された本を読んだ方がひと通りの理解や学習には便利であると考える。いちいち辞書を片手に原語のままで解読していては訳すだけで精一杯、理解するまでに多くの時間を必要としてしまうと思われる。

以上の3点から私は第二外国語廃止に対して肯定の立場を取る。


こんなところでしょうか…。