いろんなルートでtwitterを眺めていましたが、どうやら「今年の漢字」というものが決まり、それに対して様々な意見が飛び交っていたようで。個人的にはアレについては触れたら負け、いわゆるマスメディアのショーとあまり変わらないのではないか、等と思っていました。しかし、あまりにも影響力といいましょうか、存在感を放っていたようなので、少し考えてみましょうか。
そもそも「今年の漢字」は漢検協会が主催しているもののようで。それを公募によって決め、清水寺にて発表と揮毫を行うという形式のようです。文化的な組織というイメージがあまりない(一時期の不祥事のせいかもしれませんが)漢検協会が主催であることと、漢字そのものが公募であること、酵母の選考基準が云々、等と微妙に気にかかるところはありますが、もう少し根本的な部分としてなぜこのイベントが今回そこまでtwitter層にまで影響を及ぼした(言及する人がそれなりに見られたという意味で)のかという点については微々たる違和感を感じざるを得ません。
当然ネット利用層の変遷などもあるのでしょうが、個人的に古参であったように思われる人や普段マスメディア的言説に対して微妙に距離を開けていた人や毛嫌いしている人までもが、このイベントに対して言及しているように感じられました。ネット層の変遷についてはもと詳しい人が居るでしょうし、徐々にいわゆる一般層的な人々にまで浸透してきているようなのでそのあたりは特に触れようと思いません。気になったのはそれ以降の後者で、国や国の機関主催でもない一イベントにウォッチャー的な人々まで幅広く言及していたというのが意外に感じられました(当然、私の観測範囲やウォッチャーの定義が広いというのもあるでしょうけれども)。
特に斜に構えている人々というのはネットに多いように思います(これも偏見)。しかしその層でさえも「今年の漢字」というイベントそのものについての懐疑はなく、漢字の是非に多くの関心を奪われていたように思います。斜に構えているが故、なのかもしれませんが。しかし斜に構えているからこそ、二者択一のクローズドエンド型クエスチョンに囚われてはいかがなものかと思わないこともないのです。まんまとはめられているような。
話をやや戻すと「今年の漢字」の成立について調べてみるとか、不服ならば次から利用しないなど、方策はいくつか残っている。身を大幅に削るなどというのはそこにはロマンが無くなってしまうのではないだろうか。
催眠なり怪しげな宗教にかかった子ほど独特の人間を含む傾向があるので気を付けたほうがようような気はする。敵対的状況(かどうかは知りませんが、対極にあるとされる)人々に対して何が出来るのか。
お酒飲み過ぎましたね。もしかしたら後で手直しするかも。
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