2011年12月14日水曜日

第二外国語廃止って

 中国語の再履修を受けながらふと思ったのが、どうして第二外国語が必修なのだろうか、そしてなぜ入学前に特に詳しく実情を知る機会もなく選んだ言語を二年間も縛りを受けながら学習せねばならないのだろうかということです。変更可能にしてもいいのではないか、最終的に単位数あるいはひとつの言語を8単位分履修すればいいのではないか。私は大学に入ってから、自分のキャリアプランをいくつか考えた時、大学院に行く可能性も出てきました。社会学を進めていく上で強いのは英語以外で言えば独語・仏語です。必要性もかなり高いです。実際、院試の科目として設けているところもあります。そして、高校生が受験をしながらこういったキャリアプラン的なものについて考えたり調べたりするという余裕はあまりなかったように思います。そこで、第二外国語という括り、あるいは縛りというものを廃止してはどうか、という話について考えてみようと思います。

プランとしては「入学前に第二外国語を決定し、その選択に入学後二年間縛られなければならない」という現状を変えるために「第二外国語が必修であることをやめる」ということにします。

 今回は「現行の第二外国語を廃止することに肯定」の立場についてメリットの提起と反論を考えていきたいと思います。ダッシュは反論。

①語学に取られる時間を減らし、学部特有の学問に触れる時間を増やせる。
②語学そのものの実用性が低く、論文を読むにも不足は否めない上、旅行に行っても通じるレベルまで到達する人は少ないであろう、という状況。
③形骸化していて、実用性を低めている。自発的に選択出来る状況にある方が有意義な語学学習に繋がる。
④二年間の縛りを与えることで逆に問題が生じうる。
⑤やりたくない。
⑥大学の人件費削減。

①学部レベルでは日本語と英語以外の論文を読む機会は非常に限られると考えられる。また翻訳前の書籍を自分で解読していくことで逆にミスリードが増えることが考えられる。
①' 翻訳書のみで進めるような学問は学問として不適切。読めるようにするべき。また、教養として語学は履修するべきである。

②各クラスの高得点者でも実際に外国へ行って使えるというレベルにある人は多いように思われない。またそのようなレベルであるゆえに論文など読めるはずがない。そもそも教科書自体が会話文メインであり、必ずしも論文を読ませることを意図していない。
②' 最低限の基礎を等しく学ばせる意図がある。土台である文法があれば、単語がわからなくても類推したり辞書を用いれば読めるはずである。また文献講読という科目も設置されており、自発的に語学能力を伸ばす機会は設けられている。

③単位を取らせるということで形骸化し、学生にとって消化試合として捉えられている傾向があるのではないか。簡単と言われる言語に任期が集中するのもその現れではないか。故に選択を自由とし、自発的な学習を促したほうが習得効果も期待出来るうえに、授業を妨害するような学生も減ると思われる。
③'

④入学前に決めた選択に大学生活の半分である二年間もの時間に制約を課されるのは不便である。入学してからわかることもあり、フレキシブルに選択できるようにするべきである。後で別の言語が必要となったときに、変更出来なければ例えば英語・中国語・ドイツ語などという履修計画を組まねばならなくなる。また、それにより1セメスターでの履修科目数が圧迫される。
④' 調べなかったのが悪い。⇛社会情勢の変化や目標、興味の変化は十分に起こりうる。

⑤需要の低下。やりたくないと感じている層が存在しているというのは時流の変化で、必ずしも学問をやりたくて大学に来ているわけではないという学生が増えている。こういった学生が講義の妨げとなる可能性は大きい。
⑤' 強制されてやったら実は面白かった、あるいは興味が広がったりということも考えられる。

⑥やりたい人のみが受けるということはクラス数も減らせるうえに、再履修の時間割を組んでクラス数を徒に増加させてしまうということを防止出来る。大学は法人化し、厳しい時代を迎えたので費用を削減したいのではないか。
⑥' 教育にはお金をかけるべきではないか。わずかな分野の縮小が全体の縮小を招く恐れもあるのではないか。

ざっとこんなところでしょうか。次回は否定の立場での提起と反論を考えてみたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿