続き。第二外国語を廃止するべきではないという立場で提起と考えうる反論を挙げてみます。
①未知の国の文化に触れる機会が増える(文化の相対視)を起こせる。必修として強制される形だからこそ機会がありがたい。元々の興味のない人間が自発的にそういう機会は作らなかったり作れないことが多いと考えられる。
②英語のみが取り上げられるようになり、硬直化が進む。文化・言語の多様性の観点から大事である。
③多用な言語に触れることで言語への理解が深まる。
④文献が読めなくなる人が増える。
⑤友達を作れる機会として機能している。
①'あくまで相対視でしかないうえ、強制してまで大学側が学生に矯正して外国語を習わせる義理や必要性というのは何に基づくものであろうか。興味のない人間は強制されても最低限の範囲でしか調査や練習を積まないのではないだろうか。
②'実際には中国語が話者人口が多いように思われてはいるが、中国国内でも北京語や四川語といった分裂は有る上、公用語としての利用率は英語がダントツ高いという状況は返せない(データがどこかにあったはず)。故に英語が全てとは限らず、硬直化も同様に真ではない。
③'多様な言語に触れると言いつつも、入学前に語学クラスを指定しているせいで第二言語が精々、という人々をみてきた。また、その言語の縛りゆえに卒論や修士としての入学が困難になったケースも存在しては居る。
④'文献講読というった名目の講義もあるので、それに対応するようにカリキュラムを組むべきであって、生徒会長の一存のみによってキメられるものではないと考えられる。また、学部ごとに対象としている論文や会話のレベルが異なるので、必ずしも話が通じるとはにわかには考え難い。
⑤'座席指定制にすればよいのであって、全てが全て総合的学習の成果及び効果とは考え難い。試行錯誤を行う余地は未だにまだ少し残されているのではないだろうか。
微妙ですね。また書き加えるかも知れません。ノートをそのままPDFに出来ればまだよかったのかもしれませんが。
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