最近、読む本や触れる話題に社会階層などが多いのでそういうことを考える時が以前より増えてきたように感じます。当たり前のように、今まで様々な学者が平等を理論で追いかけてそれが未だに達成されていないので私がなんやかんや考えた所で達成への道を思いつくわけがないのはわかっているので真剣に思い悩むなどということはないです。が、現在の不平等の形態や類型化、これまでの格差や社会的地位の再生産というもののメカニズムを知っていくというのはなかなか興味深いと思います。
基本的に平等というのは「同じ階層が再生産されず流動的になる」というのが階層論の上では大事なようです。高所得階層の家から高所得階層の子が再生産されるあるいは低所得階層からは低所得階層が再生産され続ける、というのは均等ではないということです。つまり「出身階層による制約から逃れて本人のみによる階層の生産」というのが基本的なテーゼとして提起されます。
どういった尺度でモデルを作れば均等が実現されるのか。例えばマイケル・ヤングの『メリトクラシー』で知能テストによるハイスコアラーのみが社会の特権を握ることが出来るというようなストーリーがあるが、結局一度高い階層になった人間は子孫に自分と同じメソッドを教え込んだり諸特権(財力なり知力なり)を用いて高階層の人間を再生産していくことになります。現代でも東大生のウン割が高所得階層だというデータは度々新聞などで見かけられます。予備校に行かせるお金がある、あるいは勉強に集中させる環境や教えが多いというのもまた再生産のツールです。そうなると「学歴のみによる均等」から「学歴を媒体とした出身階層による再生産」というモデルにいつの間にか変質していきます。また、テストの形式にもよりますが、必ずしも知能が高い人間が優れた統治者になれるわけではありません。学歴あるいは知能のみによる人間の選抜はそれほど平等とは言えません。
あるいは体力による選抜だとしても女性であったり子どもというのはやはり生物的にどうしようもない壁が存在してしまいます。どういった能力によって選抜したとしても、均等というのは非常に難しいと思われます。ではひとつの能力ではない部分で評価すればいいのか?たしかに絶対的な基準を設けたほうがわかりやすいもののジェネラリスト的な指標にしたほうが均等ではあるかもしれないですね。しかし基準を作る段階で揉めそうです。メリトクラシー等の話はこれとは逆にひとつの価値観に特化して鍛えられたスペシャリストを選抜する方法ということでしたが、これもまた先ほどのような理由などから今のところ均等を目指せる指標は見つかっていません。
などといったことを聴いたり読んだりしてどういうものが均等の達成に向かうことが出来るか、と考えて見ることが増えたということでした。
久々の更新終わり。また続けていきたいなぁ。
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